Someday



「もう一度確認させて頂きますが、間違いなくこのレイアウトで宜しいですか?」

 業者の担当さんは不思議そうな表情のまま、念を押すように二度目の確認をしてきた。

「はい、それでお願いします」
「……かしこまりました。では、こちらの発注書にサインをお願いいたします」

 彼はまだどこか腑に落ちない様子ではあったけど、私がきっぱり言うと、それ以上突っ込んだことは聞いてこなかった。
 そのままいくつかの事務的なやりとりを済ませて、彼は帰っていった。


 私は、出していたお客様用のコーヒーカップを片付けて、今度は自分のためにもう一杯のコーヒーを淹れた。そして、まだ真新しいソファに腰を下ろして、ほっと一息入れる。
 慌ただしい一日で疲れた体に、馴染んだほろ苦さが心地よく広がってゆく。

 あらためて、私は部屋の中を見回した。

 真新しい机、ソファ、本棚。資料やファイルが詰め込んである段ボール。どんな時でも世話を欠かしたことのない、大事な預かりものの観葉植物。

 まだ引っ越しの片付けも済んでいないけど、一週間後には“綾里法律事務所”として看板を出すことになる予定の、小さな貸しオフィス。


 そう。この小さなお部屋は、まぎれもない私のお城だった。


 色々なことがありすぎて大変だったという実感もないけれど、ただがむしゃらに走りつづけて、どうにかここまでたどり着いた。

 ただ待っているだけじゃ、気が済まなかった。あの人が目を覚ます時までに、私は私でやるべき事をやっておく。
 そして、あの人がいつ帰ってきても、胸を張って『お帰りなさい』と言えるようにしておきたかった。

 ……だって私はこれでも、あの神乃木荘龍が惚れた女なんだから。一人じゃ何もできないようじゃ、格好がつかない。

(大変なのはここからだけど、立ち止まらずに進んでみせる。ファイトよ、千尋!)

 私は、コーヒーをぐっと飲みほし、自分に気合いを入れた。
 そして、さっきの業者さんに渡したレイアウトの控えを、もう一度見直した。

(……そうね。不思議に思われたのも、当たり前かも知れないわね)

 事務所の表札をデザインしたそのレイアウトは、確かに一見バランスが悪いものだった。右側より左側のスペースが少し広いので、遠目に見ると、字が全体に右に寄っているように見える。

 もちろん、意味もなくそんなことをしたわけじゃなかった。このアンバランスな表札には、私の願いと決心がたくさん詰まっている。


 左側に空けたスペースは、ちょうど一文字ぶん。


 あの人が帰ってきた時に、いつでも名前を書き変えられるように。
 そのために、今はバランスが悪く見えるのを承知のうえで、わざと空けておいたスペースだった。

 この先、ずっと一人で戦うことになるんじゃないか……そんなふうに、くじけそうになることもあるかも知れない。
 でもきっと、ドアを開けてこの表札を見るたびに、あきらめずに待ち続ける心を思いだせるはずだ。

 いつか、名前の変わったこの事務所で、二人でコーヒーを飲む日を迎えられることを信じて。

 私は今、自分の足で、確かな一歩を踏み出そうとしていた。


 後 記 

短い話を書くのが苦手な私にしては珍しく、1ページでおさまりました。
総元帥「李」文庫初の“SS”ではないでしょうか(笑)。

これを書いて、3つぐらいこの話の前に続くネタを思いついたんですが、
先に「Pledge」が完結してから(=二人が恋人になってから)じゃないとつながりが悪そうなので、
ひとまず「Pledge」にケリをつけてから……という感じにしたいと思います。
もう少々お待ちいただければ幸いです。読んでいただき、ありがとうございました!

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