「……さん? クロムさん?」 ぼんやりとした意識に、聞きなれた声が響く。 起き上がって確かめるまでもない。一番の親友であり、比類なき軍師でもある、かけがえのない仲間……ルフレだ。 「こんなところで寝ていると、冷えますよ。ほら、起きてください」 優しく肩を揺すられて、ようやく俺はのろのろと顔を起こした。 どうやら、机に突っ伏したまま寝てしまっていたらしい。 「ああ、ルフレか……すまんな。報告書に目を通してるうちに、ついうとうとと……」 「もう! ただでさえ今日は、あんなことがあったんですから。風邪でも引いたらどうするんですか」 俺をたしなめるルフレの頬が、かすかに赤く染まっている。 どうやら、「あんなこと」……図らずもお互いに裸を晒し、お互いの身体を目に焼き付けることになった、例の騒動を思い出してるらしい。 「い、いや、本当に悪かった……だが、あの時も言ったとおり、俺は気にしてないぞ? ルフレになら、これから何度裸を見られても構わない。なにしろ、一心同体の親友だからな!」 ばつの悪い記憶をごまかすように、俺はことさらに明るく言い放った。 まだうっすらと頬を赤らめたままのルフレは、そんな俺を軽くにらみ、ちょっぴり頬を膨らませる。 「そ、それは、とても嬉しいですけど……でも。ちょっとだけ、納得がいかないんですよね」 「何がだ?」 「その……クロムさんは、これから何度私に裸を見られても構わない……つまり、私に裸を見られてもなんとも思わない、ってことですよね?」 「なんとも思わないってのは、語弊があるような気もするが……まあ、そういうことになるかな」 俺の返事を聞いたルフレは、何故か、より不満そうな表情を浮かべた。 「じゃあ、クロムさんは、これから私の裸を見たときも、同じようになんとも思わない……ってことですか?」 「そ、それは……」 うっかりルフレの裸を覗き見てしまった時のことを思い出して、俺は思わず言いよどんだ。 やましい気持ちでわざとまた同じようなことを繰り返すことは、絶対にないと誓える。 だが、いざ裸を見た時に動じないでいられるかと言えば、それはまた別の話だ。 よこしまな気持ちを一切持たずにいられるか……正直、自信はなかった。 「クロムさん。『もう隠すことなんて何もない』んじゃなかったんですか?」 そんな俺の迷いを見切ったかのように、ルフレは問いを重ねる。 俺を見通す瞳は、冷徹に戦況を見通す時の顔そのものだ。……これは、適当な言い訳でごまかしでもしたら、間違いなく見抜かれる。 腹をくくって、俺は自分の思いを率直に告げた。 「そうだな。もしまたお前の裸を見てしまったら、『なんとも思わない』のは無理だと思う。俺だって男だからな。多少はやましい事を考えたり、いやらしい目で見てしまうかも知れない。だが、最初から下心を持って裸を見るような真似は、絶対しない。それだけは信じてもらって構わない」 こうして、俺はみっともない本音を晒した。 また破廉恥だの何だのと言われるかも知れないが、隠し事はなしだと言ったのは、他ならぬ俺自身だ。多少ルフレに軽蔑されたとしても、それはそれとして受け止めるしかないだろう。 「そうですか。…………。良かった」 「……ん? 良かった?」 「はい。良かったです」 ところが、ルフレの反応は意外なものだった。 聞き違いかと確かめてみても、どうやら俺の勘違いではないらしい。 面食らっている俺の目を、ルフレは正面から見つめている。 「私、お互いに裸さえも曝け出した親友って言ってもらえて、嬉しかった……それは本当です。でも、少しだけ、くやしかったんです。なんか、私の裸を見ても全然平気って言われるのも、それはそれでプライドが傷つくっていうか……私だって、女の子なんですよ。忘れているかも知れませんけど……」 「い、いや、出会った頃はともかく、今は忘れてなんかいない……って、ルフレ!?」 ルフレの顔が急に近づいてくる。 「だから、ちゃんとそういう目でも見てくれるって……そう言ってもらえて、ちょっと安心したんです」 今までに見たことのないような、艶っぽい瞳。ルフレにも、こんな表情があるのか…… 頬に血が上るのを感じながら身動き一つできない俺に、ルフレは悪戯っぽく微笑みかけた。 「安心させてくれたお礼です。もう一度だけ……見ても、いいですよ?」 ルフレの右手が、いつもその身を覆っているローブの紐をするりと解く。 「…………! お、おい、ルフレ!?」 俺が固まっているのを気にする様子もなく、胸元のビスチェが、下着が、ルフレ自身の手で取り払われていく。 そして……あの日と同じ一糸まとわぬ姿のルフレが、俺の目の前でにっこりと微笑んでいた。 「こ、こらっ、ルフレ、何やってんだ!?」 「何って……私の身体を、クロムさんに見せているんです」 「いや、それは分かってる……お、俺が言いたいのはそういうことではなくて……!」 顔中が熱くなり、耳の奥に早鐘のような鼓動が響く。 自分でも何を言ってるのかわからないぐらい、俺は混乱していた。 「クロムさん、何をそんなにあわてているんですか?」 「そ、そりゃ、慌てるに決まってるだろう!」 「……どうしてですか? 私たち、お互いに裸さえも見せ合った、一心同体の親友なんですよね?」 「だからって、いきなり裸になられたら、俺だって……」 細い首筋。華奢な鎖骨。ふんわりとして、それでいてピンと張った、形の良い胸の膨らみ。意外なほどむっちりとした、太腿からお尻のライン。その前方を慎ましやかに覆う、彼女の髪の毛と同じ色をした柔らかい茂み。 身体が硬直して身動き一つ取れない中、目だけはせわしなく動き続け、ルフレの身体中を見回してしまう。 「『俺だって』、何ですか?」 ルフレの瞳が、俺をとらえる。 俺の何もかもを見通すような目で見つめられて、頭の奥が痺れるような感覚に襲われる。 「俺だって……。…………」 喉の奥が渇いて、言葉が出てこない。 その間にも、まだ視線がルフレの胸元に吸い寄せられてしまう。 俺の手にすっぽりと収まるぐらいの、バランスのいい大きさ。 誘うように上向いている、可愛らしいピンク色の先端。 触れたらふわふわしているだろうか、弾けるように俺の手を押し返すだろうか。 優しく吸い上げたら、どんな反応があるだろうか。 荒々しく揺さぶったら、どんな声が聞けるだろうか。 「どうしたんですか? 私のこと、そんなに見つめて……」 「…………」 目が離せない。胸が高鳴る。 こんなに魅力的な女だと、何故今まで気づかなかったのか。 触れたい。知りたい。抱きしめたい。 ルフレの全てが、欲しい……! 「クロムさん、黙ってたら分からないです」 沈黙の奥にある俺の本心をこじ開けようとするかのように、ルフレが強い調子で答えを求めてくる。 だが、いくら隠し事はなしだと言っても、今考えていたことをルフレに伝えてしまったら……。 「……駄目だ。言えるものか……言えない!」 確かめ合ったはずの友情が壊れるのが、怖かった。 親しげな笑顔や遠慮のない軽口が、二度と戻らなくなるのを恐れた。 そして何より……たった今俺がルフレに抱いてしまった感情を認めるのが、ひどく恐ろしかった。 「……クロムさん。私には、何も隠さなくていいんですよ」 「ルフレ……」 ルフレの静かな声が、俺を包む。 穏やかな笑顔を浮かべ、彼女がさらに近づいてくる。 ほとんど身体が触れるほどまで近づいて、ルフレは俺の目をまっすぐに見つめた。 「私は……クロムさんの気持ちが聞きたいです。本当は……私のこと、どう思っているんですか?」 ルフレの声が、心の奥底にある真実を求めてくる。 「俺は……。…………」 俺は深呼吸して、ルフレに向き直った。 それは、俺自身の気持ちに正面から向き合うことでもあった。 「俺は……」 そうだ。間違いは、正さなくてはならない。 親友でもなく、仲間でもなく、家族や兄妹でもなく…… 「ルフレ……俺は、お前のことを……!」 その後に続く言葉を伝えるために、大きく一歩を踏み出す。 勢い良く……! 「…………!?」 ルフレに身体を寄せた……はずだった。 しかし目の前にルフレはいない。代わりに、見慣れた寝所の天幕が広がっている。 そして俺の身体はベッドにあり、上半身だけ起き上がった体勢から、毛布が床に落ちかかっている。 「…………。まさか、今のは……」 夢だった、っていうのか……!? どうにか状況を理解してきた頭の中に、さっきまでとは違う意味での衝撃が広がってくる。 (俺は……ルフレのことを、本当は……) お互いに裸を見てしまったことさえ笑い飛ばせる、無二の親友と確かめ合ったはずだった。 気まずさを乗り越え、新たな関係を作り上げたはずだった。 だが、夢の中でもう一度裸の彼女に向き合っただけでどうだ。 男女の枠を越えた美しい友情とやらはあっさり砕かれ、俺の本当に望んでいたものは何だったのか、いやでも思い知らされることになった。 ふと下を向き、猛々しく存在を主張しているものに気づいて、よりいっそうの罪悪感がつのる。それは、夢が続いていれば俺がルフレをどうしたかったのか、これ以上ないほどはっきり示していた。 (あんなに恰好良いことを言った舌の根も乾かないうちに、これか……) 思わず、深いため息をつく。 自己嫌悪とルフレへの申し訳なさで、どうにかなってしまいそうだった。 (自分の気持ちに気づいてしまった以上、いつかは決着をつけなくてはならんのだろうが……) どうやらその勇気は、当分の間持てそうもなかった。 この気まずい思いを抱えて、どんな顔でルフレに会えばいいのか。 俺はもう一度胸一杯の空気を吐き出し、気が重い一日に向かってのろのろと身体を起こした。 |