「クロムさん、大丈夫ですか……?」 クロムたちがファウダーとの決着をつけた戦いの後。 ルフレは軍師として必要な戦後の指示を早々に片付け、クロムの天幕に駆けつけた。 「ああ、大丈夫だ。そもそもお前が威力をしっかり抑えていたし、手当ても早かったからな。侍医が言うには、大事を取って今日一日ゆっくりしていれば何も問題ないそうだ」 「そうですか……。良かった、本当に……!」 クロムは横たわっていた寝台から身体を起こし、いつもと変わらない笑顔を妻に向ける。 そんな彼の様子を確かめるやいなや、ルフレは一気に力が抜けたかのように寝台の横にへたり込んだ。 「なんだ、大げさな奴だな。不意打ちにちょっと驚いただけで、実際、大した痛みでもなかったぞ。戦いでもっとひどい傷を負ったことなど、いくらでもあっただろう」 「そ、それはそうかも知れませんし、私だって操られながら必死に抵抗はしてましたけど……魔法を完全に止め切れなくてクロムさんに当ててしまった時は、本当に怖かったんですよ……。しかもクロムさん、私にあんなことをされたのに、自分のことなんかそっちのけで私を気遣って、『お前のせいじゃない』って……。あの時はほんと、いつか話した、前に見た悪い夢みたいになるんじゃないかと思って……」 「俺は、不思議と不安は感じなかったな……お前に撃たれた瞬間も、心のどこかで『俺とルフレなら大丈夫だ』と思っていた。辛そうなお前は心配だったが、俺自身がどうにかなるような気はまったくしなかった。現に、こうしてほとんど無傷だったんだしな」 心配の表情を崩さない妻を元気づけるように、クロムは寝台に置かれたルフレの華奢な手に、自らの大きな手を重ねた。 「はい……。クロムさんは、こうして無事なままで……私もルキナの世界と同じことにはならずに済んで……」 ルフレは自分の掌を包むクロムの手の甲に自分の額を寄せ、その存在を確かめるかのように強く押し当てる。 「本当に……本当に、良かったです……! 私、クロムさんを、失わずに済んだんですよね……?」 「ああ。俺は生きているし、ルフレはルフレのままだ。俺たちの絆が、そう簡単に壊れるはずがないだろう? ほら、顔を上げろ。俺は、ちゃんとここに居るぞ」 促されて顔を見上げたルフレに視線を合わせ、クロムは力強く微笑みかける。そして重ねていた手をそっと外し、腕を広げて自分の胸元にルフレをいざなった。 ルフレは溢れる様々な思いを反芻するかのように、しばしの間そんなクロムの顔をじっと見つめていた。やがて、その瞳にはうっすらと涙が浮かんでゆき、不安をたたえていたその顔には、次第に安堵の表情が広がってゆく。 短い沈黙の後、ルフレは強く閉じた目からこぼれる涙を拭おうともせず、感情を爆発させるように勢い良くクロムの胸に飛び込んでいった。 「クロムさん……クロムさん! 私、私……!」 「ルフレ……もう、何も心配は要らない。お前はファウダーの支配を振り払ったし、俺はこうして生きている。悪い夢は去り、運命は、変わったんだ……!」 クロムは肩を震わせて泣き続けるルフレを強く抱きしめ、腕の中にあるその温もりを確かめる。 「はい……私、二度とクロムさんの側を離れません……!」 「ああ、当然だ。絶対に、離すものか」 ルフレはクロムの胸元にすがりつき、その言葉通り二度と離れないことを誓うように、ぴったりと身体を寄せた。 そんな彼女の髪を優しく撫でながら、クロムも同じ誓いをルフレに囁く。 「私、ずっと、このままクロムさんを、愛していて……いいんですよね?」 「むしろ、そうでなければ困る。そうしてくれ」 「はい、クロムさん……愛しています……」 クロムの胸に埋めていた顔を上げ、ルフレは首を反らせてそっと彼に口づけた。 「俺もだ、ルフレ……」 ルフレが楽な体勢になるように背中を支えながら、クロムも優しく唇を重ねる。 長く静かなキスを交わした後、ルフレはゆっくりと目を開けた。 そして目の前にある愛する夫の顔をまじまじと眺め、ようやく安心したように微笑んで、目元の涙をぬぐった。 「ごめんなさい……クロムさんを心配して、側に付きそうために来たつもりだったのに。……なんか、逆に、私が元気づけてもらいに来たみたいになっちゃいましたね」 「なに、構わないさ。俺はルフレが側に居てくれたら嬉しいし、お前が元気でいてくれるなら、俺も力が湧いてくる。結局ルフレは、俺が一番元気になることをしてくれているじゃないか」 「ふふっ……ありがとうございます。クロムさんのそういう所、大好きです」 ルフレは幸せそうな笑みを浮かべ、もう一度クロムに軽い口づけを重ねた。 その後、クロムに預けていた身体を起こして姿勢を正し、話を戻すように軽く表情を引き締める。 「あの、クロムさん。ここに来た時みたいに、すごく心配しているわけじゃありませんけど……やっぱり、今日は側でクロムさんのことを見守らせてくれませんか。大事ないと言っても、この後“覚醒の儀”……ナーガ様のお力を授かる、厳しい試練が控えているんですよね? なら、きちんと養生するに越したことはありませんから」 クロムは軽く苦笑いを浮かべ、真剣な表情で訴えるルフレに向き直った。 そしてあらためて安心させるようにルフレの頭に片手を置き、愛おしむように彼女の髪を撫で下ろす。 「まったく、ルフレは心配性だな……本当に身体の調子はいつもと変わらないから、そう深刻そうな顔をするな。だが、そうだな……一度この地を発ったら、この戦いに決着がつくまで、二人で過ごせる時間はほとんどないだろう。そう考えれば、ちょうどいい機会かも知れないな」 「じゃあ……?」 「ああ。厳しい戦いに備えての骨休めだと思って、出発までお前の側でゆっくり休ませて貰うことにしよう。何しろ、俺にとって何よりの薬は、ルフレだからな……一人でおとなしくしているのとは比べ物にならないぐらい、ずっと元気になれるさ」 今度こそルフレは、心の底から不安の影を振り払ったように曇りのない笑顔を浮かべた。 「はい……! 私なんかでクロムさんが元気になれるなら、いくらでも側にいます。今日は朝まで様子を見ていますし、行軍の再開まではできるだけ側についてますから……安心して、ゆっくり休んでくださいね」 「ああ……すまんが、よろしく頼む」 クロムは再びルフレを抱き寄せ、彼女の額に優しくキスを落とした。ルフレは満たされた笑みを浮かべてクロムに寄り添い、首筋や頬に口づけを返してゆく。 しばらくの間、二人は互いに与え合う温もりを心ゆくまで感じ合うように抱き合い、様々な場所に口づけを交わしあった。 「……ついでに、もう一つ頼みがあるんだが……いいか?」 ルフレの柔らかい肌を味わうように唇を触れ合わせ、クロムがそっと囁く。 「はい、もちろんです……って、クロムさん!?」 クロムの耳元に囁きを返そうとしたルフレが、驚きの声を上げる。 強い力で引き寄せられるのを感じる間もなく、彼女の身体は寝台の上に引き上げられていた。 「側に居てくれるだけでも、勿論嬉しいんだが……どうやらルフレのおかげで、もう元気が出てきたみたいだ。ルフレを、もっと可愛がりたくなった」 クロムはルフレだけに見せる悪い顔で微笑み、確かに怪我の気配など微塵も感じさせない身軽な動きで、やすやすとルフレを腕の中に組みしいた。 「ちょ、ちょっと、クロムさん、ダメですよ……! 侍医の先生は、大事を取って今日はゆっくりするように、って……」 「ああ、だからいつもより優しくする」 「って、問題はそこじゃないです……っ!」 ルフレが慌ててじたばたともがくのも意に介さず、クロムは知り尽くした彼女の弱いところに唇を落としてゆく。 乱れそうになる息を何とか抑えながら、ルフレは困ったような顔でクロムを見上げ、流されそうになるのを必死で耐えていた。 「お願いです、クロムさん……もし具合が悪くなったら、どうするんですか」 「この通り、俺はすっかり元気だ。むしろルフレと抱き合えば、もっと元気になれる」 「うう、クロムさん……あんまり、困らせないでください……」 「……嫌か?」 少し拗ねたように瞳を覗きこむクロムに、ルフレは慌てて首を横に振る。 「そんなわけ、ないじゃないですか……私だって、クロムさんに可愛がってもらうのは好きですし、嬉しいですけど……」 「じゃあ、問題ないだろう」 「で、でも、やっぱりダメです! たとえ万が一にでも、私のせいで何かあったら、後悔してもしきれませんから……。だから、今日だけは……我慢しましょう。ね?」 クロムは勝手知ったる様子でルフレの身体に手を伸ばし、彼女の弱点を的確になぞってゆく。 再び流されそうになるのを鉄の意志でこらえ、ルフレはどうにかクロムを説得しつづけた。 「どうしても……駄目か?」 「……ごめんなさい。どうしても、です」 「ここを出発したら、おそらくもうこうする機会はないが……それでも、駄目か?」 「…………。じゃあ……明日」 「……?」 「明日、今日のぶんまで、その……。私も、ええと……色々頑張る、って約束します。今日ゆっくり休んでもらって、明日侍医の先生からお墨付きをいただいてからの方が、その……お互い何かと心置きなく、っていうか……。どのみち、激しい戦いで消耗した兵士を休ませるため、何日かここに留まる必要がありますし。だから……明日じゃ、ダメですか?」 きわどい意味合いを含めた言い回しに頬を赤らめながら、ルフレは代案をクロムに提示した。 軍師としての判断を損なわない範囲で、クロムとルフレ本人の希望を最大限叶える……彼女なりに考えて出した、精一杯の提案だった。 「……そう言われたら、無理を通すわけにもいかないな。わかった……明日、楽しみにしているぞ」 そんなルフレの気持ちをくんだのだろう。 クロムは名残惜しげにルフレを解放し、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべて額に軽く口づけた。 「ありがとうございます。その……明日、今日のぶんまでクロムさんに喜んでもらえるよう、が、頑張りますから……。あの……お手柔らかに、お願いしますね」 「それは、約束できないな。ルフレに色々頑張られたら、きっと可愛すぎて手加減できなくなる」 「う、そんなに期待されると、プレッシャーが……」 真っ赤になったルフレの頬を愛おしげに撫で、クロムはもう一度優しく唇を重ねる。 「ルフレがただ居てくれるだけで、こんなに元気になるんだ。何をされても、俺の期待なんか簡単に超えるに決まっている」 「は、はい……そうなるよう、頑張ります。じゃあ、今日はそろそろ……」 「ああ、休ませてもらうことにしよう。明日の楽しみと……その先にある、今までになく厳しい戦いのために」 「……はい!」 クロムの青い瞳は、明日のささやかな楽しみを思い描く一方で、その先に待ち受ける新しい未来を力強く見据えている。 ルフレの返す声も、愛する夫と新たな秘密を交わす期待に色づく一方で、クロムと同じ未来まで届くまっすぐな力に満ち溢れていた。 運命を変えた二人を、夜の静寂が包み込んでゆく。 最後の戦いは、もうそこまで近づいていた。 |