お二人が静かにドアをお開けになった瞬間、何もおっしゃらずともただならぬ事があったと分かりました。 いつでも若々しい希望に満ちあふれていた綾里様の瞳は、ひどく泣き腫らされて何一つ映っていないかのようにただぼんやりと前を見つめ、神乃木様の顔にはいつもの余裕と自信にあふれた皮肉な微笑みではなく、静かな、それでいて何者にも触れることを許さない鋭さを持った強烈な怒りが浮かんでおりました。 「神乃木さん……。手、大丈夫ですか?」 確かに、神乃木様の右手は真新しい包帯に覆われておりました。 綾里様が呟くようにそうおっしゃるまでこれほど目立つ変化にさえ気がつかなかったほど、お二人のご様子は尋常なものではなかったのです。 「ああ……こんなものは、何でもねえ。火傷も切り傷も、放っておきゃあすぐ治る。だが、アイツのやったことは……どれだけの時間をかけても取り返しがつかねえんだ。あの可哀相なシマシマにも、ナマイキでイキのいい天才検事のボウヤにも、そして誰より……お前に、この世で考えられる限り最悪のやり方で、取り返しのつかない傷をつけた。オレは、アイツを一生許さない」 「神乃木さん……」 「これは、チヒロだけの戦いじゃない。アイツとケリをつけるのは、オレ自身の戦いでもあるんだ」 神乃木様は、私がいることにさえ気付いてないかのように、ほとんど無意識のような仕草でいつもの席に腰掛けられます。綾里様も、黙って神乃木様の隣にお座りになられました。 「マスター、頼む」 神乃木様は、その時初めて私の顔をご覧になり、強い力の宿る目を向けてただ一言そうおっしゃいました。 たったそれだけの短い言葉。 そして、『コネコちゃん』ではなく、『千尋』とお呼びになられたこと。 私のすべきことを知るには、それだけで充分でした。 「お待たせいたしました」 私は、カウンターにマグカップ……神乃木様のスペシャルブレンドを、二つ並べました。綾里様にはガムシロップとクリームのポットを添えましたが、ブレンド自体はまったく同じものです。 「同じ志を持つお二人へ。綾里様のスペシャルブレンドはまだお作りしたことがございませんので、アイリッシュウイスキーがきつ過ぎるようでしたら、遠慮なくお好みをお申し付けくださいませ」 綾里様は、無理をしているのがはっきりと分かるのが痛々しくはありましたが、それでも私の目をまっすぐに見つめて、かすかに微笑みました。 「……ありがとうございます。でも、今日は神乃木さんと同じものをいただきます。私だけのブレンドは、また今度お願いします」 どんなに傷ついていても誇りを失っていないその瞳は、まぎれもなくいつもの綾里様のものでした。 いえ、いつもの綾里様と申し上げるのは、もはや失礼にあたるでしょう。なにしろ彼女は、神乃木様が名前でお呼びになる方となったのですから……。 |