「言ってみな。聞けることなら、聞くぜ」 綾里様のただならぬ様子をお感じになったのでしょう。いつもなら内容を聞かずに頼み事を引き受けることなどないお方なのですが、神乃木様は一瞬たりとも迷わずにそうおっしゃいました。 「私……さっきの約束、きっと守ってみせます。でも、今から家に帰って一人になったら、きっと、私……。色々考えすぎて逆に何も考えられなくなっちゃって、ええと……とにかく、何がなんだかわからないぐらい、泣いちゃうと思うんです。たぶん、日付けが変わっても全然気がつかないで……。でも、それじゃ、約束、守れませんよね……」 綾里様はそこで小さく息を吸い込んで目を伏せ、ためらうように一度言葉を切りました。 そして、柔らかくすっと流れる髪で神乃木様から顔を隠し、かすかに震える声でお続けになられます。 「だから……明日まで、私のそばに……」 「わかった」 神乃木様は、みなまで言わせずに、力強くうなずかれました。 「自分の言葉には責任を持つ……そいつが、オレのルールだ。傷付いた同志が明日までそばに居てほしいと望んでいる。……断る理由なんて、どこにもねえぜ」 「神乃木さん……!」 綾里様の目に、みるみる涙がたまっていきます。 しかしその涙は、先程までの悲しみからこぼれたものとは明らかに違う、家にたどり着いた迷い猫が精いっぱい鳴いているような、安堵の涙に見えました。 そんな綾里様の様子をご覧になって、神乃木様は黙って肩をお抱きになられます。 そしてしばし、静かに時間が流れてゆきました。 ……さて。私は、そのまま言葉にすると野暮になってしまうメッセージを伝えるため、シェーカーを手に取りました。 ラム、コアントロー、レモンジュース。3つのボトルを手に取り、静寂を破らないよう細心の注意を払ってシェークし、カクテルグラスに注ぎます。 そんな私の動きを見ていらっしゃったのでしょう。 そっとカウンターにグラスをお出しすると、私が申し上げるまでもなく意図を察してくださった神乃木様はかすかに片頬を上げ、黙って飲み干して綾里様をうながし、席をお立ちになりました。 「今日はここまで……だな。今度来る時は、楽しい時間になるよう祈っててくれ」 「ええ。また、いつでもお待ちしております」 私は一礼し、神乃木様がポケットを探るのを静かにお止めいたしました。 「アイリッシュコーヒーも、XYZも、私が望んでお作りさせていただいたものです。ささやかな贈り物でございますが、どうぞ受け取ってはいただけませんか」 「……ああ、わかった。その代わり、ケリがついた時には、オレの奢りで祝い酒に付き合ってもらうぜ」 「かしこまりました。楽しみにしておりますよ」 神乃木様は軽くうなずいて、綾里様を守るように寄り添って店を後にされました。 ……そう。お二人がこれからの時間を過ごすべき場所は、ここではございません。 不粋な邪魔者にはなりたくなかったので、アルファベット最後の三文字で名付けられたカクテルで、この時に終わりを告げさせていただきました。 差し出がましいかとも存じましたが、おそらく、間違った行動ではなかったと信じております。 さて。私も、そろそろ今夜は店じまいといたしましょうか。 お二人の誓いが果たされる日が来るときを祈りつつ、XYZをかたむけながら……。 |