「おや、マスター。こいつは、いいタイミングで邪魔したみたいだな」 お馴染みの声がドアの方から聞こえたのは、つい先刻団体のお客様がお帰りになり、一息ついた時のことでした。おそらく、入り口で団体様とすれ違われたのでしょう。 「いらっしゃいませ、神乃木様。ちょうど、いつものお席がご用意できたところですよ」 「そのようだな。ついでに、そこで拾ったコネコちゃんにも、特等席を用意してやっちゃくれねえか」 「もう……『拾った』はやめてくださいってば! なんか、捨て猫みたいじゃないですか」 おっしゃる通り神乃木様の後ろから、綾里様も顔をお出しになりました。胸元には何やらパンフレットを抱えていらっしゃいます……どうやら、お芝居か何かを見に行ってらしたようですね。 「いらっしゃいませ、綾里様。何か、舞台をご覧になっていらっしゃったのですか?」 「あ、はい! 研修所の同期で役者さんとお友達の方がいて、チケットをいただいたんですよ」 「クッ……。無邪気なコネコちゃん、キライじゃねえさ。だが……よく知らないお兄さんからエサをもらう時は、マタタビが混ざってないか、確かめるクセをつけた方がいいぜ」 「……あの、センパイ。もしかして、何か誤解してませんか? 今日は、他の事務所に行った女の子に誘ってもらったんですよ。彼女、急な仕事が入って行けなくなっちゃったんです。それで、私が代わりに……」 「……そうか。いったん興味を持ったモノには後先考えずにすっ飛んでく危なっかしいコネコを飼ってると、どうにも心配性になっていけねえな」 「もう! 私、そんなに不用心じゃありませんよー」 「……クッ、どうだかな」 お二人はいつもの席にお座りになりながら、いつもの調子でじゃれ合っていらっしゃいます。 私が神乃木様のブレンドを用意しながら邪魔にならない程度にお話に混ぜていただくのも、いつもの光景となりつつありました。 「……どなたかと一緒に見に行かれても、お一人でじっくりと鑑賞しても、素敵な芸術は心の糧となるものでございますよ。さて、何をお飲みになりますかな?」 「オレは、いつものやつを頼むぜ」 「私は、何かさっぱりした冷たいものをお願いします。なんか劇場の熱気で、まだ顔が火照っちゃって……」 「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」 神乃木様の熱いスペシャルブレンドと、綾里様の冷たいお飲みものを同時に手早くお作りしながら、私は綾里様にお尋ねいたしました。 「ところで、本日は何をご覧になっていらっしゃったのですか?」 「はい、あの……『ゴドーを待ちながら』っていうお芝居です」 そのタイトルは、私も耳にしたことがございました。 「サミュエル・ベケットでございますか。戯曲そのままではたいそう難解でありながら、演出家と役者によって実にさまざまな舞台に姿を変えると聞き及んでおりますが……」 カウンターにお二人のお飲み物 −−神乃木様にはいつものアイリッシュコーヒーを、綾里様にはよく冷えたアプリコットクーラーを−− 並べながら私が申し上げるのを、神乃木様が引きとってお続けになられます。 「どんなコーヒーでも淹れ方ひとつで、スッパい色水にもなりゃ、極上の一杯にもなる……。コネコちゃんにとって、どんなものだったんだい? ちょいとばかり複雑な味になりそうな、今夜のブレンドは……」 |