綾里様は見てきたことをじっくりと思い出すかのように、ゆっくりと語りはじめました。 「なんだか……とっても不思議なお芝居でした。ウラジミルとエストラゴンっていう二人の浮浪者が、ゴドーという人を待ち続けるけど、結局彼は来ない……。おおまかなあらすじはそれだけなんですけど、待っている二人が本当に色々なことをするから、全然退屈しないんですよ。でもセリフそのものは、意味があるようなないような、どうにでも解釈できる言葉遊びみたいな感じなんです」 神乃木様は、けんめいに考えながらお話しになる綾里様を、一心にじゃれている仔猫を眺める飼い主のような目でご覧になっていらっしゃいます。 冷えたグラスからひと口含んで、綾里様はお続けになられます。 「さっきマスターがおっしゃったように、役者さんと演出が変われば、まったく違ったお芝居になるんでしょうね。今日の役者さんは、メインの二人も脇を固めている人たちもすごく“間”が良くて、思わず大笑いしちゃった後に、じわじわ色んなことが思い浮かんでくるんです。考えさせられるんだけど、変に小難しくない言葉で語ってくれているような感じで……。私、弁護士の勉強で忙しくてなかなか映画やお芝居を見に行く暇もなかったんですけど、たまにはこういう時間を持ったほうがいいな、って……そう思いました」 語り終わってひと息ついた綾里様の瞳は、いつかカクテルを当てるゲームに挑んだ時のように、精一杯自分の頭で考えた言葉を紡いだ充実感にきらきらと輝いておりました。 「クッ……それは、オレに誘ってほしいって意味か? 遠回しのおねだりをする、恥ずかしがり屋のコネコちゃん……キライじゃないぜ」 神乃木様はそんな綾里様の様子をご覧になって、軽口をたたきつつも満足そうな表情を浮かべていらっしゃいます。 「もう、そんな意味じゃありませんよ! 私はただ、今日のお芝居が良かったってことを言いたかっただけです!」 からかわれた綾里様が、いつものように真っ赤になって言い返されます。 確かに、これだけ素直な感性をお持ちなのですから、見るもの聞くもの全てから、さぞかし多くのことを吸収されることでしょうね。 「純粋なお嬢さんをからかってはいけませんよ、神乃木様。……なるほど。どうやら、実り多い舞台だったようでございますね」 「はい! 色々と考えさせられたんですけど、私、今日いちばん思ったのは、何かを『待つ』時にどう過ごすのかって、すごく大事なことなんだなあ……ってことなんです」 照れくささを追いやるように、綾里様は話をお戻しになります。 「と、申しますと?」 「はい……あの、二人がゴドーを待っているけど、結局彼は来ませんよね? でも、二人は待っている間に問答をしたり、言葉遊びをしたり、出会った人たちに関わってみたり……色んなことをしているから、待っている時間は無意味なものじゃなくなっているんです。ただじっと待っているだけだったら『待ったのにゴドーが来なかった無駄な時間』になったものが、『ゴドーは来なかったけど何かをして過ごした時間』になっているんですから……」 なるほど。いつも前向きな綾里様らしい考え方でございますね。 「ただじっとコーヒーが入るのを待つより、出されるコーヒーを楽しみにして待つほうがより建設的、ってわけか……確かに、間違っちゃいねえな。だが、ちょいとばかし気をつけた方がいいことがあるぜ」 神乃木様は、綾里様に横顔を向けたまま軽く片頬をお上げになられます。 「……どういうことですか?」 「どんなに旨いコーヒーでも、客が待ちくたびれて帰っちまった後に出てきたんじゃ意味が無ぇ、ってことさ」 「…………?」 いつもの如く少々回り道気味の例え話に、綾里様は小首をかしげます。 「たとえ、待っている間にコネコちゃんがいい時間を過ごせたとしても……人を待たせたままでいるような奴が、ロクでもないオトコだってことに変わりはねえ。オレだったら、レディを待たせるようなマネはしないぜ。……たとえ相手がコネコちゃんでも、な」 悪戯っぽく片目をつぶってみせる神乃木様に、またまた綾里様が赤くなった頬をふくらませて、毛を逆立てた仔猫のように突っ掛かっていかれます。 「もう、『でも』って何ですか! だいたいそれに、なんで私がセンパイを待つって話になるんですか!」 「クッ……いいオトコは、いつだって待たれているもんさ」 「答えになっていませんよ!」 お二人が、いつもの調子でじゃれ合いを始められます。どうやら、そろそろ最初の一杯がほど良く回って来られたようですね……お二人とも、まだ話が尽きる様子はございません。 私は綾里様にあやかって、お二人が次に何を頼まれるかをあれこれ楽しく想像しながら、オーダーを待つことにいたしました。 しっとりとしたリキュールベースのカクテルか、はたまたさっぱりとしたクーラー・スタイルのカクテルか……。 今宵もまた、楽しい夜となりそうですね。 |