ナイショのお話/1



「あ、オジサマ! ようこそ、おいでくださいました」

 成歩堂法律事務所を訪れたゴドーを、本来の主よりも随分と若々しい気配が出迎える。
 春美は、ご機嫌な仔猫のように可愛らしい声で挨拶をしながら、笑顔でぴょこんと小さな頭を下げた。

「おや、小さいコネコちゃんのお出迎えか……コイツは珍しいな。成歩堂のヤツ、いねえのか?」
「はい! 真宵さまがお買い物に行かれていらっしゃるので、なるほどくんもご一緒しているのです」

 春美の申告を聞き、かすかな笑みを浮かべ春美の頭を撫でていたゴドーの目が、ゴーグルの奥で細められる。

「……お嬢ちゃんを一人置いて、かい? 相変わらず、レディの扱いがなってねえな」
「とんでもございません! わたくしのほうから、なるほどくんにお願いしたのですから」

 成歩堂に向けられたささやかな糾弾を、春美はぶんぶんと首を振って全力で否定した。

「…………?」

 ゴドーの目が、春美のくりくりと見開かれた瞳を見通す。
 特に動じる気配もない様子から、嘘をついてかばっているのではないと結論づけたらしい。彼は再び目元を和らげ、視線で春美の説明をうながした。

「だって、オジサマ。真宵さまが一人でお買い物に行こうとされているのに、なるほどくんったら何もなさらず、平気で『ああ、行ってらっしゃい』なんて言うんですもの。愛しい方を一人にさせるなんて、とんでもないことです!」
「……そうか。でも、大きいコネコちゃんだってコドモじゃねえんだから、お使いぐらい一人で行けるだろう。それより、お嬢ちゃんを置いてきぼりにするほうがよっぽど心配だろうさ」

 憤懣やるかたないと全身で訴えるかのように勢い良く身振り手振りを交え、春美は成歩堂を断罪する。
 ゴドーはそんな彼女を微笑ましげに見守りつつ、多少理不尽とも言える理由で糾弾された成歩堂をやんわりと弁護した。とは言っても、彼女を怒らせている時点で完全無罪とは見なしていないらしく、春美をたしなめるような強い口調ではなかったが。

「はい。なるほどくんも、同じことを言いました。でも、わたくしだってもうすぐ十才になるのですから、お留守番ぐらい、リッパにつとめられます。そんなことを心配して愛しい方を後回しになさるなんて、殿方のすることではありません……ええ、わたくし、ひっぱたいてやりましたとも!」
「……クッ。そいつは、大変だったな」
「ええ! なるほどくんにも、困ったものです」

 春美は一歩も引かず、自らの平手で有罪判決を下したことを高らかに宣言した。
 頬に小さな紅葉をくっきりと刻まれたであろう友人の災難を想像したのだろう。ゴドーは片頬を上げ、皮肉な笑みを漏らした。
 もっとも、目の前にいる少女には、全力を込めて刑を執行した彼女自身が「大変だった」ことをねぎらわれたと伝わったようだ。春美は拳をキュッと握りしめ、己の溢れる義憤を彼により強くアピールした。

 しばしの間、そんな春美をゴドーが微笑ましげに眺めるのどかな時間が流れた。

 それほど長くはない沈黙の後、春美は意を決したようにゴドーに向き直った。話題を変えるようにひとつ息を吸い込み、あらたまった口調で話し始める。

「あの……オジサマ」
「どうした?」
「わたくしひとつ、オジサマに教えていただきたいことがあるのです」
「コネコちゃんの頼みはできる限り聞くのが、オトコのたしなみってモンだ。……話してみな。聞いてやるぜ」

 春美の真剣な眼差しを受け止め、ゴドーはほとんど間を置かずにうなずいた。
 そして、法廷で証言を求める時とは比べ物にならないほど優しい物腰で、彼女に発言を促す。

「ありがとうございます! やっぱり、オジサマはやさしくてステキです!」
「おっと、コネコちゃん。ひとつ、覚えておくといい……オレが大事に扱うのは、レディだけ、だぜ。ギザギザ頭の弁護士に優しくしてやるほど、お人好しじゃないんでね」
「ふふ……わかっています。じゃあわたくし、コーヒーをお持ちしますね!」

 嬉しそうに飛び跳ねて礼を言う春美に、ゴドーは立てた人差し指を軽く振り、ゴーグルの中で片目を瞑ってみせた。
 彼らしい変化球寄りの言い回しと、きちんとレディ扱いしてもらったことが嬉しかったらしい。春美は少しこましゃくれたしたり顔で楽しげに頷き、上機嫌でぱたぱたとキッチンに駆け出した。


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