遅めのランチタイム/1



「……はい、綾里です」

 せっかくのお休みだっていうのに、電話の呼出し音で起こされてしまった。仕方なく、枕元の携帯電話を取る。

「よう、コネコちゃん。その調子じゃ、まだベッドで丸まってたようだな」

 まだ寝ぼけている私の耳に返ってきた声は予想通り、腹が立つほどマイペースな、聞き馴れた人からのものだった。ひとさまの休日に朝っぱらから全然悪びれずに電話してくる知り合いなんて、一人しかいない。

「……おはようございます、センパイ。どうしたんですか? 今日はお休みだったと思いますけど……」

 そう。昨日は、新人歓迎会があった。
 私は神乃木さんにバーに連れて行ってもらってその後電車のあるうちに帰ったけど、星影先生をはじめとして最初から朝まで飲むつもりの人がほとんどだから、事務所の飲み会は、必ず休みの前日に組まれているはずだった。

「……クッ。忘れんぼうのコネコちゃんだな。昨日の約束、覚えていないのか?」
「え?」

 私は、わけがわからなかった。まだお酒の残っている頭で懸命に思い出そうとしてみたけれど、やっぱり思い出せない。

「あの、すみません……ちょっと、思い出せないんですけど。何か約束なんて、していましたっけ?」

 電話の向こうで、センパイがいつもの皮肉混じりの笑顔を浮かべる様子がはっきり見えたような気がした。もちろん目には見えないけど、なんとなく雰囲気で伝わってくる。

「おっと、すまねえ。約束っていうよりは、賭けだったな。ほら、例のバーでちょいとした抜き打ちテストをしただろう? その時のことを、思い出してみな」

 ……あの、カクテルの中身を当てるゲームのことを言っているらしい。私は、順を追って思い出そうとしてみる。

「確か、当たりだったら神乃木さんが豪華なランチをご馳走してくれて、ハズレだったら私が真心をこめてコーヒーを入れる……って話でしたよね」
「……そう、その通りだ。だがそれじゃあ、昨日推理してみせた『コネコちゃん』の正体と一緒で、カンペキな正解とはいかねえ。カンジンなのは、それが“いつ”の話か……だぜ」

 もう声だけで、今センパイがどんな顔をしているか予想がついた。昨日あのバーでさんざん人をからかってくれた時みたいな、ものすごく意地悪で嬉しそうな表情に違いない。

「“いつ”、ですか?」
「ああ。オレは確か、こう言ったはずだぜ。『当たりなら、明日、オレがうまいモカを飲ませるカフェでゴージャスなランチをオゴる。ハズレなら、明日の朝イチで、アンタがオレのために心をこめてうまいコーヒーを入れる』……ってな。昨日の“明日”はいつだい、コネコちゃん?」

 …………あ!

「今日、ですけど……まさか、最初からそのつもりだったんですか?」
「そういうことだ。気づかなかったのが悪いんだから、異議は認めねえぜ」

 ……信じられないほど平然と言われてしまった。あんなにサラリと言われて、気がつけっていう方が無茶だと思う。

「昨日のテストは、半分当たりで半分外れってところだったからな。オレはゴージャスとまではいかねえが、普通のランチをアンタにおごる。コネコちゃんは、朝イチでとは言わねえが、今日中にココロのこもったコーヒーを入れる。……妥当な条件だと思わねえか?」

 ここで反対しても、私の拒否権が無視されるのは目に見えている。……私は、無駄な抵抗はしないことにした。

「……わかりました。事務所に行けばいいですか?」
「物わかりのいいコネコちゃん……キライじゃないぜ。じゃあ、待ってるぜ」

 それだけ言って、一方的に電話は切れてしまった。ホントに、マイペースが服を着て歩いてるような人だ。

 仕方なく、私は身支度に取りかかった。


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