遅めのランチタイム/2



 私が書斎のドアを開けると、センパイはもうどっかりと腰を下ろして、机の上にある資料に目を通しているところだった。

「遅かったな、コネコちゃん。オレに会うため、念入りに毛づくろいしてたのか?」

(慌てて飛び出してきたから、そうしたくてもできなかったんですよ……って、問題はそこじゃないわよ、千尋!)

 のどまで出かかった、うっかり言ってしまっていたら間違いなくこの人を喜ばせるだけの言葉を、私はかろうじて飲み込んだ。
 それにしても、このどこまでもポジティブな発想に、それをぬけぬけと言ってしまえる丈夫な神経。きっとこの人は、ストレスなんか無縁の毎日を送っているんだろうと思う。

「すみません、遅くなりました。何からお手伝いすればよろしいですか?」

 私もだいぶセンパイの扱いに慣れてきたので、その辺は軽く流してさっさと本題に入る。
 そんな私に神乃木さんは、ニヤッと笑って空のマグカップを突き出した。

「ああ、コイツを至急で頼む。家で飲んできたモーニングコーヒーからこっち、おあずけを食らってたんだからな。お寝坊さんのコネコちゃんのおかげで、禁断症状寸前だぜ」

 そもそも知らない間に勝手に約束されていたようなものだとか、ひとさまをいきなり呼びつけておいて寝坊呼ばわりだとか……異議はいっぱいあったけど、逆らうだけムダなのはよく知っていた。

「はい。いつものでよろしいですか?」
「おっと。『いつもの』じゃ、ちょいと約束が違うな」
「…………?」
「いつものヤツにコネコちゃんのココロをたっぷり込めた、スペシャルブレンドで頼むぜ」

 ……いつにも増してキザなセリフをさらっと言って、センパイは片目をつぶってみせた。本人がなんのてらいもなく言ってるぶん、なんだか、聞いているほうが恥ずかしくなってくる。

「……わかりました。こっちの約束も、忘れないでくださいよ」
「ああ、わかってる。オレも、休日出勤なんてとっとと終わらせて、コネコちゃんとゆっくりランチを楽しみたいからな」

 神乃木さんにじっと見つめられて、甘い猫なで声でそんなことを言われると、その休日出勤をさせたのは誰なんですか……なんていう、のどまで出かかっていた文句もつい引っ込んでしまう。うまく言えないけど、なんていうか、不公平だ。

 そんな私のココロのため息を知ってか知らずか、相変わらず神乃木さんは嬉しそうにカップを差し出している。
 私はそんな気持ちを顔に出さないよう気をつけながらカップを受け取り、給湯室に急いだ。


 給湯室でゆっくりと神乃木さんのスペシャルブレンドを淹れながら、私はぼうっと考え事をしていた。

 私にとってセンパイは、どういう存在なんだろう。

 好きか嫌いかと言われれば、たぶん『好き』のほうだと思う。実際、昨日の歓迎会でも、他の先輩方や同期の人と話している間、神乃木さんとお話している方が楽しいのにな……なんて、一緒にいた人たちには失礼なことを考えていた。

 でも、男の人として好きなのかというと、ちょっと違うような気がする。
 遠慮なくからかってくる時や、今日みたいに思いっきり振り回されている時なんかは、本気で呪ってやりたいと思うことさえある。もし恋しているとかそういうんだったら、急に呼び出されてもきっと嬉しいはずだ。

 気になっているのは確かなんだけど、好きでもあり、嫌いでもあり……ちょうどこのスペシャルブレンドみたいに、色々な気持ちが混じりあって、単純じゃない味になっているのかも知れない。

 そんなことを考えているうちに、ポットの中には二杯ぶんのコーヒーがたまっていた。私はお盆にコーヒーセットを一式乗せて、待ちくたびれているはずのセンパイが待つ書斎へと急いだ。


←BACK NEXT→

もくじに戻る