二人きりの残業’/1



 証拠探しや資料調べは、熱中しだすときりがない。神乃木と千尋は書庫で古い事件のデータを探していたのだが、気がついた時には、もう勤務時間はとっくに過ぎていた。

「神乃木さん……もう、こんな時間ですよ。少し、休憩しなくて大丈夫ですか?」

 もちろん千尋だって同じように調べものをしていたのだが、自分の疲れなど気づかずに神乃木を気遣うのも、いつものことだった。
 そんな無私のやさしさを受けるたび、神乃木は、千尋を愛しいと思わずにはいられない。

 窓の外はすっかり夜更けの街を映し出し、事務所にはすでに人の気配はなくなっている。
 世間のルールというものに縛られることのない神乃木にとって、気兼ねする理由はひとつもなかった。

「ああ、大丈夫だぜ。でも、ちょっと一息入れるのは悪くねえな」
「そうですね。じゃあ、コーヒーでも入れて……!」

 千尋が言い終わるより早く、神乃木は千尋の唇を自分の唇でふさいだ。そして、そのまま舌を差し入れて、柔らかくからめ、吸い上げていく。

「んっ……」

 それは千尋にとって何度となく繰り返された、愛し合う時間への合図だった。突然のことでも、馴れた感覚に身体が咄嗟に反応してしまう。
 しかし千尋は、職場であるという理性を懸命に働かせ、どうにか神乃木の腕から抜け出そうとした。

「ダメですよ、神乃木さん……仕事中、です……」
「勤務時間外だ。時給で仕事してるわけじゃなし、文句を言われるスジアイはねえぜ」

 神乃木の大きな手が、ゆっくりとスーツのファスナーに伸びてゆく。

「でも、職場ですよ……」
「愛し合ってるオトコとオンナに、場所なんてカンケイねえ」

 千尋は身体を引いて何とか逃れようとするが、強い力でしっかりと抱き寄せられていて、どうにもならない。

「もしかして、まだ誰かいるかも知れないじゃないですか……」
「クッ……もう、オレたち以外に居残ってる物好きはいねえさ」

 神乃木はすでに、千尋の懸命な抵抗をなんなく封じて胸元に手を滑り込ませている。
 言葉とはうらはらに、千尋の頬はうっすらと色づき、鼓動の高まりが神乃木の掌に伝わっていく。

「きゅ、休憩なら、今、コーヒーを淹れてきますから……」
「ダメだ。千尋がいい」
「そんな、意地悪言わないでくださいよ、神乃木さん……あっ!」

 苗字で呼ばれた瞬間、神乃木は知り尽くしている千尋の弱点を容赦なく責めたてた。

「おっと……二人っきりの時は、荘龍。……それが、オレたちのルールだろ?」

 耳元で囁きながら、神乃木の手は休むことなく千尋の胸元を探り続ける。
 千尋は声こそたてなかったが、熱くなってきた息遣いは隠しようもなかった。

「…………。荘龍……」

 それは、千尋自身も最初から結果のわかっている勝負だった。降参のしるしに、うるんだ瞳で彼の目を見つめ、名前を呼ぶ。

 殺風景な仕事の空間は、たちまち恋人たちの空間に変わっていった。


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