月見酒/1



「諸君、一年間ご苦労様ぢゃった。今年はめでたく、全員揃っての慰安旅行を迎えることができて、ワシもうれしいぞい。それでは、我々星影法律事務所一同益々の発展を祈って、カンパイぢゃ!」

 すっかり宴の準備が整った大部屋のあちこちから、乾杯の声があがる。
 ここは、とある鄙びた温泉旅館。それほど大きくはない宿を借り切って、星影法律事務所の慰安旅行が始まろうとしていた。

 新人歓迎会や忘年会などと同じく、三度の飯よりも宴会が好きな所長の独断で、よほどの用事がない者は全員参加の決まりである。しかし、ここ数年は誰かしら欠けての開催となっており、久しぶりの全員集合での慰安旅行に、星影の盛り上がりもひとしおのようだった。

(…………。まったく、ジイさんの宴会好きにも、困ったもんだぜ……)

 事務所の宴会出席率ワースト1を堅持している神乃木も、例外ではなかった。付き合い酒が嫌いで入所してからこのかた毎年不参加を決め込んでいたが、今年の彼には、どうしても参加しなくてはならない理由があった。

「あの、私……本当に、お酒強くないですから。そんなに、気を遣わないでくださいよ」
「いやいや、そんなこと言って、歓迎会ではなかなかの飲みっぷりだったじゃないかね。ほら、遠慮せずに、グーッと!」
「あ、そんな……まだ、飲み切っていませんし……」
「まあまあ、そう言わずに。日頃のいやなことは忘れて、楽しく行こう!」
「そうそう。なに、今日は貸し切りなんだ。誰に気兼ねすることもないんだから、気楽にやろうじゃないか」

 案の定、千尋は男たちに囲まれて酌責めに遭っている。

 多少なりとも人目のある居酒屋と違って、正真正銘、貸し切りの旅館である。羽目を外した彼らが千尋に何をするかと思うと、神乃木は気が気ではなかった。
 主義主張を曲げてまで義務ではない団体旅行に付き合うことにしたのも、彼らの手から千尋を守りたい一心からだった。

(アイツら……無礼講にかこつけて、またタチの悪いマネをしてやがるな。……千尋に手を出したりたら、タダじゃすまさねえぞ……!)

 まったく予想通りの展開に、神乃木の眉間には、いつにも増して深い皺が刻まれていた。
 ただの先輩と後輩だった歓迎会の時と違って、お互いが特別な存在となっている今となっては、相手が自分以外の異性に囲まれているということ自体、面白かろうはずもない。

 さらにもう一つ、別の問題もあった。

 神乃木と千尋が恋人同士であることを、ほとんどの所員たちはまだ知らない。

 そのことに関しては、お互いに相談した結果“自分たちからあえて言いはしないが、聞かれたら隠さない”というスタンスを貫くことに決めていた。

 今のところ、直接二人の関係を尋ねてきた者はいない。
 その為、中には何となく察している勘のいい人間もいたかも知れないが、公に二人のことを知っている者はいない……という状態だった。

「皆さん、楽しそうですね……ぼくも混ぜてくださいよ。綾里さん、隣、いいかな?」
「あ、はい……」
「こら、新人! 折角私がキープしたこの特等席に、割り込むつもりか?」

 つまりそれは、すでに神乃木という相手がいることを知らず、旅行というチャンスを最大限に活用して千尋を口説こうとする男たちの思惑が丁々発止と火花を散らす……ということでもあるのだった。

 神乃木は冷えた日本酒を大きくあおり、彼らを険しい目で睨みつけた。


NEXT→

もくじに戻る