月見酒/2



「あ、どうぞ!」

 盃を置く間もなく、横から徳利が差し出される。
 神乃木が周りを見渡すと、いつの間にか、毎度のごとく女たちに取り囲まれてしまっていた。

「ああ……済まねえ。オレは手酌で飲るから、構わないでくれ」

 一応の礼儀として酌を受けつつ、神乃木は取り巻きから抜け出そうと試みる。

「そんな、遠慮しないでくださいよー」
「そうそう、私たち、この旅行に神乃木さんが来てくれるの、すごく楽しみにしてたんですよ!」

 しかしいつも通り、彼女たちは解放してくれるつもりはないらしい。

 どうやら、邪魔者抜きの貸し切り旅行を勝負の時とこころえているのは、男たちだけではないようだった。
 よく見れば、周りを取り囲んでいるどの女たちも、普段より服や化粧に数段気合いが入っている。

「でも、珍しいですよねー。忘年会や新年会も、忙しくて来られないことが多いのに……」
「そういえば神乃木さんって、慰安旅行参加するの、初めてじゃないですか?」
「……ああ」
「回覧で『参加』にマルがついていたのを見て、びっくりしちゃいまいしたよ。どうして今回に限って……って」

 彼女が期待を込めた熱い視線を投げかけるのを横目で見て、他の女たちも負けじと秋波を送ってくる。

「……たまたま予定が空いていただけだ。深いイミはねえさ」

 神乃木は内心うんざりしつつ、愛想のないいらえを返した。
 普段の彼なら意味ありげな台詞の一つぐらいはサービスするところだが、今の神乃木には、そんな余裕もなかった。

 もっとも、好意のフィルターがかかった彼女らの目にはその無愛想な様子さえ“クールで格好いい”と映っていたに違いなく、神乃木の思惑通りには行ってそうもなかった。

「そうだ、神乃木さん、知っていますか? ここの旅館、温泉がすごくいいんですよ!」
「あ、そうそう! 露天風呂の眺め、最高なんです!」
「よかったら、後で一緒に行きませんか? 内湯は別々なんですけど、露天の大風呂は混浴なんですよ」

 女たちの視線がますます熱く、獲物を目の前にした狩人のような鋭さを帯びる。
 どうやら彼女らの狙いの肝は、その一点にあるようだった。

「……オレは、お嬢ちゃんたちの楽しいバスタイムを邪魔するつもりはないぜ」
「邪魔なんてこと、ないですよ!」
「今日は天気がいいし、きっと、気持ちいいですよ」

 神乃木が体よく断ろうとしても、彼女たちはなかなかあきらめない。

 付き合いの悪い神乃木がこのような席に来ることなど、次はいつあるかわからない。皆それを承知しているだけに、どうあっても引くつもりはないようだった。

(……混浴、か。ガキじゃあるまいし、そんなもんでどうこうって気なんか起きねえぞ。あのへんのオヤジでも誘ってやったほうが、よっぽど有り難がられるだろうに……)

 神乃木は内心毒づきつつ、ふと気になって千尋のほうを見やった。

(…………!)

 案の定というべきか、どうやら、そちらでも同じような光景が繰り広げられているようだった。
 喧噪にまぎれてはっきりとは聞き取れないが、『温泉』『露天風呂』などといった単語が、切れ切れに神乃木の耳に入ってくる。

(アイツら……サイテーのセクハラ野郎ども、だぜ!)

 神乃木は思わず、周りを囲んでいる女たちのことなどすっかり忘れて、勢いよく立ち上がっていた。


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