長い渡り廊下を抜けて、庭と露天風呂が見渡せる休憩所に着いたところで、ようやく神乃木は千尋をベンチに抱え下ろした。 「ここなら、外の風も入る。……しばらく涼んでいれば、ちょっとは楽になるだろう」 神乃木が、仔猫を守る親猫のような表情で千尋の顔を覗き込む。 「あ、あの……私、もう、本当に大丈夫ですから……」 驚きでかなり酔いが醒めたのか、千尋の声は随分としっかりしていた。 それが本当かどうか確かめるかのように、神乃木は千尋の頬にそっと手を触れる。 「……さっきよりは、落ち着いたみたいだな。でも、まだ熱いんじゃねえか?」 「いえ、本当に大丈夫です。なんだか、びっくりして目が醒めちゃったみたいで……」 それだけ言って、千尋は神乃木の顔を見上げ、ふっと微笑んだ。 「……どうした?」 「あ……ごめんなさい。なんか、不思議な感じで……」 「何がだ?」 「だって、さっきまではあんなにふてぶてしく笑っていたのに、今はすごく心配そうで……。そんな神乃木さんを見るの、初めてだな……って思って」 少し拗ねたような横顔を見せながら、神乃木は千尋の隣に腰を下ろした。 「オレが心配しちゃ、悪いか?」 「いえ、そんなこと……! ただ、びっくりしただけで……」 「……イヤらしい目をした野郎どもがあんなに千尋の周りにいるのを見て、気楽にしていられるはずがねえさ。……こう見えて、オレは嫉妬深いんだぜ?」 言うやいなや、神乃木は千尋の頭を抱え込むように強く抱きしめた。 「……ちょっと! こんなとこ、誰かに見られたら……!」 「構わねえ。千尋が誰かに言い寄られるぐらいなら……何百回だって、噂のネタになる方がマシだ」 「…………!」 千尋が、ゆっくりと身体の緊張を解いてゆく。 お互いの温もりを確かめるかのように、二人は身体を寄せ合っていった。 やがて、千尋もおずおずと神乃木の背中に手を回し、胸に顔をうずめる。 「千尋……愛してる。絶対、他の奴になんて渡さないぜ」 千尋は黙ってうなずき、神乃木を見上げた。 そして、少しは慣れてきた仕草で、顔を上げてそっと唇を触れ合わせる。 「あの……心配、しないでくださいね」 「…………?」 「だって、その……また、ほっぺたが熱くなってきちゃいましたから……」 言葉の通り、千尋の頬は再び赤く火照っていた。 だが、無理やり飲まされた酒のせいで不自然に熱くなっていた先刻までとは違って、その赤みはほんのりと優しいものだった。 「……クッ。おアツいコネコちゃん……キライじゃないぜ」 神乃木は、そんな千尋の頬を愛おしそうに撫でる。 しばらくそうしているうち、不意に神乃木が立ち上がった。 何かいいことを思いついた子供のような、少し悪戯っぽい顔をしている。 「そうだ。……ちょっと、待っててくれ」 「……え?」 千尋が聞き返すより早く、神乃木はすたすたと休憩所の隅まで歩いていってしまった。 そしてすぐに、何かを手に持って戻ってくる。 「ほら……熱くなっちまったカオを、コイツで冷ましな」 千尋は、神乃木に渡されたものを見た。 と、それは、昔ながらの瓶に入った、冷たいコーヒー牛乳だった。 「わぁ……懐かしい! ありがとうございます。」 「本当は、外の風呂上がりに飲るのが一番美味いんだろうけどな。これはこれで、悪くねえだろうさ」 神乃木は再び千尋の隣に座り、自分も手に持った瓶を開ける。 そちらはコーヒー牛乳ではなく、カップ入りの冷酒である。 「わざわざ、うるさい部屋に戻って飲むことはねえからな。オレたちはここで、のんびり飲らせてもらうことにしようぜ」 「……はい!」 千尋は嬉しそうに元気いっぱいの返事をして、ぴったりと神乃木に寄り添った。 二人はそのまま何を言うでもなく、瓶とガラスのカップをゆっくりと傾ける。 いつの間にか、窓から見える景色は、煌々と満月に照らされていた。 初春の芽吹きかけた草木に、柔らかい月の光が優しく降りかかっている。 そんな景色を眺めて寄り添う恋人たちの時間が、遠く聞こえる宴の喧噪をよそに、静かに流れはじめていた。 |