どうしよう……。 私は、誰もいない給湯室で思いっきり悩んでいた。 ただでさえ、今日はいきなりあんな騒ぎを起こしちゃったんだから。こんなことのために誰かを呼び出して、これ以上恥をかくのは絶対にイヤだった。 (……大丈夫、なんとかなるわ。ファイトよ、千尋!) そうよ、たかがコーヒーじゃない。多少やり方を間違えたって、飲めないほどひどいものにはならないはずだわ……それに、昔キミ子おばさま直々に教わったお茶の煎れ方なら、ちょっとは自信もある。 私は心を決めて、『神乃木ブレンド』と書かれたラベルの貼ってあるコーヒーの缶を取り出した。 「センパイ、お待たせしました」 「悪いな、コネコちゃん。じゃあ、ちょいと休憩にするか」 神乃木さんは、流し読みしていた資料をデスクの上に無造作に放り出して、私からコーヒーカップを受け取った。 「オレのスペシャルブレンド、すぐに分かったか?」 「あ、はい、給湯室の一番目立つところにありましたから。……あの、センパイ」 「ん?」 「じつは私、コーヒー入れたのって初めてなんです。ですから、その、あんまり味のほう、自信ないんですけど……」 私の自己申告を聞いて、神乃木さんは珍しい生き物を見るような目つきで、ヒトの顔をまじまじと見つめた。『失礼しちゃう』って言いたいところだけど、確かにそんな人はあんまりいないだろうから、何も言えない。 「ほう……そいつは珍しいな。コーヒー、苦手なのか?」 「いえ、そんなことはありませんよ。司法研修所の食堂では、よく飲んでましたから。でも、実家ではいつも日本茶だったんで、自分で入れて飲むときはなんとなくお茶ばっかりになっちゃって……」 「……クッ。じゃあコイツは正真正銘、コネコちゃんがヒトに捧げるファースト・ブレンドってわけか。その記念すべき一杯、ありがたくいただいちゃうぜ」 神乃木さんは、そんなちょっぴりキザなことを言いながら、カップをそっと持ち上げて、深く息を吸い込んだ。 「……薫りは悪くねえな。上出来だ」 第一関門突破、ね。 続いて、最初の一口をゆっくり時間をかけて味わう。うう、キンチョーしちゃうな……。 「ほう、味のほうもなかなかのもんだぜ……合格だ。オレは、コイツがないと夜も日も明けないヤッカイな性分でな。初めてでこれなら、安心して任せられそうだな」 「ホントですか! ありがとうございます!」 正直こんなふうに素直に褒めてもらえるなんて思ってなかったから、私は嬉しい以上に驚いてしまった。 (やればできるじゃない、千尋!) 心の中でガッツポーズをしている私を見て、神乃木さんもなんとなく嬉しそうにこっちを見ている。そして、カップの残りを一気に飲み干した。 「…………?」 その時だった。突然、神乃木さんは眉間にシワを寄せて、不思議なものを見てしまった……みたいな顔をして、カップの底をのぞきこんだ。 「あの……神乃木さん? どうかしましたか?」 「…………。ひとつ聞いてもいいか、コネコちゃん?」 「は、はい……」 え? やっぱり私、何か間違えちゃったのかしら!? 私の胸は、今日何度目かわからないイヤな予感でいっぱいになっていった。 「……いや、聞くより早い方法があるな」 神乃木さんは独り言のようにつぶやいてから、私の方に向き直った。 「コネコちゃん、コイツのおかわりを頼みたいんだが……オレも、給湯室まで付き合わせてもらうぜ」 あ、私がやりますから……と言おうとするより早く、神乃木さんはさっさと先に行ってしまった。 ……この半日でもうだいぶ慣れてきたけど、センパイって時々、マイペースっていうか、ちょっと強引だ。私は、あわてて後を追いかけた。 |