「ほう、感心だな。使った道具はすぐに片付ける……コネコちゃんは几帳面、ってわけか」 給湯室の流しを見て、神乃木さんは私の方を振り返った。 「え、だって、みんなが使う場所ですから……そりゃ、すぐに洗ってふせておくぐらいはしますよ」 「……? あ、そうだな……」 なにげなく私が答えると、一瞬、神乃木さんは不思議そうな顔をした。……なんだろう? 「じゃあ、今、おかわり入れますね」 そう言って、私が水切りかごから食器を取り出した時。 神乃木さんは、私の手元をまじまじと見つめて、信じられないものを見たような顔をした。 「……え?」 私は、わけがわからなかった。 それはお互いさまだったらしく、神乃木さんも私も互いに見つめあったまま、しばらく黙っていた。 「……クッ」 少しの間を置いて、神乃木さんがかすかに笑った。 そして突然、全ての謎がつながったような顔をしたかと思うと、いきなり廊下中に響くような大声で笑いだした。 「ちょ、ちょっと、センパイ! どうしちゃったんですか!?」 またさっきみたいに事務所中の人が集まってくるんじゃないかと思って、私はあわてて神乃木さんを止めようとした。 センパイはどうにか声を押さえてくれたけど、それでも、涙を流さんばかりにして笑い続けている。 「な、何なんですか? 私、何かおかしいこと、していますか……?」 神乃木さんは答えてくれる代わりに、だまって私の手元を指差した。 私の持っている急須と茶こしに右手の人差し指をつきつけたまま、センパイは永遠に思えるぐらいの長い間、しつこくしつこく笑い続けた……。 「なるほど……道理で、味も香りも問題ナシだってのに、カップの底にたんまりと粉が沈んでたわけだ」 どうにか笑いのおさまった神乃木さんから何が問題だったのか聞かされて、私は地面に穴を掘って埋まりたい気分だった。 「すみません……私、お茶しか入れたことがなかったから、コーヒーを入れるために違う道具を使うなんてこと、全然知らなくって……」 「いや、見たことがないものは想像できねえ……そりゃ、当然だぜ。それにしても、誰か気付いた奴はいなかったのか?」 「はい、誰も通りかかった人はいませんでしたから。……でも私、これでもがんばったんですよ!」 「ああ、そいつはよくわかるさ。しっかり心をこめて、程よい時間をかけて……緑茶もコーヒーも、うまいヤツを入れるコツは同じだからな」 私が精一杯主張すると、神乃木さんは、意外なほど優しい顔で私を見つめながらそう言った。 ……気のせいか、さっきとは違う意味で、ほんのりと顔が赤くなってくるのを感じる。 (ちょっと、何ドキドキしてるのよ、千尋!) 私は、あわててそんな思いを打ち消した。もしこんなことを考えているのがバレたら、それをネタにまたさんざんからかわれるに決まってる。 「だが、しばらくオレの手伝いをしてもらう以上、コーヒーの入れ方はきっちりマスターしてもらわねえとな。よし……休憩はもうちょっと後までガマンしてもらうぜ。今から、コーヒーの入れ方の特別講義だ。いいな?」 「……はい!」 「言っとくが、オレのレクチャーは厳しいぜ? 覚悟しておくんだな」 神乃木さんは片目をつぶって、どこか嬉しそうにドリップ用の道具やフィルターを取り出した。……休憩は後だなんて言いながら、ずいぶん楽しそうだ。 「まかせてください!」 私も負けないように、元気いっぱいの返事をする。 仕事で一人前になるのはまだまだ時間がかかるだろうけど、せめてコーヒーの入れ方ぐらいは早く覚えよう。 私は、神乃木さんの手さばきをじっと見つめた。 たかがコーヒー、されどコーヒー。 そうよ。“コネコちゃん”卒業の、小さな一歩かも知れないんだから……。 |