Pledge:神乃木/3



 部屋に入ってオレはまず、クローゼットから冬物の部屋着を取り出して千尋に渡した。

「サイズは合わねえだろうが、スーツのままってわけにもいかねえだろうからな。他に必要なものがあったら、そこの引き出しにあるやつを勝手に使ってくれ」
「あ、はい、ありがとうございます」
「……じゃあ、ゆっくり休んでくれ。オレは向こうにいる。ドアは開けておくから、何かあったらいつでも呼びな」

 そう言ってオレが部屋を出ようと背中を向けた瞬間、慌てたような千尋の声が飛んできた。

「え!? あの、神乃木さん、『向こう』って……どこで寝るんですか?」
「さっきのソファだ。あれで、なかなか寝心地は悪くねえんだぜ」

 オレが当然と思っていた答えを返すと、千尋は、とんでもないとばかりに首を振った。

「ダメですよ! ここは、神乃木さんのお家なのに……それなら、私がそっちで寝ます! 家主を差し置いてベッドで寝るなんて、そんな……」
「おいおい……それを言うなら、オレに、女をソファで寝かせてのうのうとベッドで寝るような真似をさせるつもりか? レディファーストってのは、オレだけのルールじゃねえんだぜ」

 ……千尋が変なところで義理堅いのはよく知っていたが、さすがにこれは聞けない話だった。オレがそう諭しても、千尋は頑固に言い返してくる。

「だって今、寝心地は悪くないって言ったじゃないですか。それなら、私がそっちで寝たって問題はないはずです!」
「おい千尋、そういう問題じゃ……」
「どういう問題でも、私にはそんなことできません! どうしても私にベッドで寝ろって言うなら、せめて神乃木さんもここで一緒に寝てください!!」


 ……………………。


 千尋が勢いで投げ付けた言葉は、しばし、オレたちの時間を止めた。

 オレが固まってるのを見て、鈍い千尋もさすがに自分の爆弾発言に気づいたらしい。慌てて何かフォローしようとしているんだろうが、何も言葉が出てこないようだった。

 言葉が出てこないのは、オレも同じだった。呼ばれたらいつでもそばに行くことができ、かつ、手を伸ばしても届かない距離にいること……それが、『本気で惚れている女との約束を守りながら間違いを起こさない』という難題を両立させるために、冷静に考えて出した結論だった。

 そこに放たれた千尋の言葉は、全力で動員している理性を真っ向から揺さぶってくる。どうにかねじ伏せた欲望との戦いに引き戻されたオレは、どんな顔をしているだろうか。

「そうしたら……『そばにいる』だけじゃ済まなくなる」

 オレは、ぶざまなツラを見せないように背中を向けながら、やっとの思いでその一言を吐いた。

「…………。あ、あの、私……」
「頼むから、オレを、弱ったオンナに手を出すクズ野郎にはさせないでくれ……」

 背中越しに、黙り込んでいる千尋の視線を感じる。お互い言葉を探しながら、何も見つからない……しばしの間、そんな重たい沈黙が流れた。

「じゃあ、行くぜ」

 息の詰まるような空気を振り払うように、オレがそう言った次の瞬間だった。

「待ってください! 私……それで、構いません。だから、行かないでください」

 千尋は、かすかに震える小さな声で、しかしきっぱりと、オレに向かってそう告げた。
 驚いて振り返ったオレの目を、千尋は真正面から受け止めている。


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千尋2 / 千尋3 / 千尋4

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