最初は、どんなに神乃木さんからの安らぎで心を満たそうとしても、まだ血が流れているほど生々しい心の傷がフラッシュバックしてきて、思い出したくもない現実が目の前をちらついた。 そのたびに私は、確かに隣にいてくれる人のことを懸命に思い返した。 自分自身も辛い思いをしているのに、ただこうして私のそばにいてくれる人がいる。そんな人がいると思えば、どんなに苦しくても、どうにか崩れそうになる自分を持ち直すことができた。 辛い光景は完全に消えることはなかったけれど、少しづつ、神乃木さんから流れてくる暖かい力が私を包んでくれていった。 いつしか私は、切れ切れに頭の中を回る忘れられない痛みよりも、そばにいてくれている人の大きな優しさに身をゆだねていた。 そのまま、どれほどの時間が流れたのか……夢とうつつの間を行ったり来たりしながら、私の気持ちはだんだんと落ち着いていった。 もう、大丈夫。 そう思ってゆっくりと目を開けると、神乃木さんは、少し心配そうな顔をして、私をじっと見つめていた。 「神乃木さん……」 思った通り、大丈夫だった。もう声を出しても、胸がいっぱいになって涙が出そうになったりはしない。 「少し、うとうとしていたみたいです。はじめは、色々なことが頭の中を回ってどうにかなっちゃいそうだったんですけど……そのたびに、『こうして神乃木さんがいてくれるから大丈夫だ』って思い返していたんです。そうしたら、だんだん気持ちが楽になってきて……」 私は、止められていたけど、どうしても言いたいことを言わせてもらうために、あらためて神乃木さんに向き直った。 「『ありがとう』は無しだ、って言ってましたけど……でも、言わせてください。ありがとうございます。神乃木さんがいてくれたから、私……きっと、今日は大丈夫です」 神乃木さんが、何もかも見通すような目で私を見つめる。私がその視線を真っ直ぐに受け止めると、神乃木さんは、ようやく安心してくれたみたいだった。 いつも通りちょっと皮肉っぽい、でもいつもよりずっと優しい表情で、神乃木さんは私に言った。 「そうか。……眠れそうか?」 「ええ……神乃木さんがそばにいてくれるなら、きっと」 「ああ、もちろんだ。必ず、そばにいる」 神乃木さんが、きっぱりと力強く約束してくれる。 もう、本当に大丈夫だ。……私は、今日初めて、心の底から笑顔を出すことができた。 そんな私を神乃木さんは、じっと見つめている。 しばらく黙ったまま、神乃木さんは私を見つめ続けた。心配しているというわけではなさそうだったけれど、何か難しい考え事でもしているような表情だ。 「あの……神乃木さん? どうかしましたか?」 ちょっと心配になった私が聞いてみると、神乃木さんは、珍しく少し慌てたような様子で私の言葉を打ち消した。 「いや、どうもしねえ。心配しないでくれ。……じゃあ、そろそろ寝るか?」 「……はい」 『寝る』という言葉を聞いて、不意に、ドキッとした。 考えてみれば当たり前だけど、今夜は神乃木さんと二人っきりで過ごすことになるということを、あらためて実感したからだ。 今まで二人だけで残業したことも数えきれないぐらいあるし、一緒に出かけたこともあったけれど、一つ屋根の下で過ごすということは、やっぱり重みが違う。 もし、そういう雰囲気になったら、私はどうするか……正直、わからなかった。どこかでそうなることを望んでいるような気もするし、やっぱり怖いような気もする。 「わかった。ちょいと味気ない部屋だが、ガマンしてくれ」 私の動揺に気づいているのかいないのか、神乃木さんは私に背を向けて、寝室に向かって歩きだした。 |